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2008年2月16日 (土)

米子市公会堂の生い立ち

米子市公会堂の建設は、戦前からの市民の願いでした。

公会堂ができる前にも、日本で指折りのヴァイオリニストである巌本真理(1926-1979)・諏訪根自子(1920-)・辻久子(1926-)等が米子に演奏に来ることはありました。そんな演奏会に集まった地元の愛好家達は、米子西高などの講堂に座り込んで聴くような状態だったそうです。

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そして昭和32年4月、市制30周年の記念事業として、待望の公会堂の建設がはじまりました。このときには「1世帯が毎日1円貯めて公会堂を!」という市民運動がおこり、3千万円もの寄付金が集まりました。

場所は昭和20年に廃校した角盤高等小学校の跡地で、敷地面積11,467平方メートル、総工費1億7600万円の大事業となりました。

公会堂の落成式は昭和33年4月12日に行われました。飛行機の編隊飛行や装飾自動車のパレードなど街中がお祭りとなり、翌日の新聞には次のように書かれました

――米子市民が待望していた産業、文化の殿堂米子市公会堂の落成式は…(中略)…この日朝から晴れわたった絶好の天候に恵まれ、中国一を誇る大公会堂は米子市の象徴としてその偉容を輝かせた――。 

落成式の後、祝賀行事は1ヶ月間にわたって続きました。
初めての演奏会は、4月28日に開催された「辻久子ヴァイオリンリサイタル」で、これが米子労音の記念すべき初めての演奏会でした。日本海新聞に連載された「米子点描」の中で、塩見佐恵子さんはこう記述しています

――切符を握りしめて入場した時、にわかに日本が狭くなり、東京が近く感じられ、米子に住んでいる誇らしさに満たされた。その後、「チゴイネルワイゼン」を聴くたびに、公会堂がうかび、生演奏に初めてふれたあの日の感激を思いだす――。

なお、この後米子労音は米子市公会堂と共に発展し、今も地元の多くのクラシック愛好家を集めています。

米子市公会堂の最大の特徴はデザインです。平成10年には建設省の「公共建築百選」にも選定されています。

設計したのは、日本を代表する建築家の村野藤吾(1891-1984)でした。外観は「ブラジルの教会とグランドピアノ」のイメージです。村野氏は公会堂の設計前年に南米を旅行しており、そこで最終イメージを固めました。大胆かつシンプルな中にどこか日常的な暖かみがある様式に、村野氏の魅力が十分に表現されています。

村野氏は、広島平和公園の世界平和記念聖堂や大阪新歌舞伎座、京都都ホテルなどに代表される数多くの名建築を残し、文化勲章・日本芸術院賞・日本建築学会賞などを受賞しました。

ところが私たち米子管弦楽団は、終戦後に現楽団の前身となる楽団が活動していたのですが、皮肉なことにちょうど公会堂の完成頃に活動が休止してしまいました。多くのメンバーの努力によってようやく現在の米子管弦楽団が活動を始めたのは、昭和50年のことです。

それ以来、演奏会を公会堂大ホールで開催するだけでなく、普段の練習も集会室で行っており、公会堂にはずっとお世話になっています。

開館以来、米子市公会堂は著名な音楽家の演奏会場になったり、学校行事やコンクールの舞台となったり、多くの米子の音楽文化を育む土壌になってきました。音響や施設の充実を図るため、昭和55年には大改修が行われ、現在に至っても、米子で随一の音楽・芸能舞台となっています。さらに、50年間の歴史がこれからも積み重なれば、文化の舞台としての深みを増して、国内に誇れる会場であり続けることでしょう。

(Cb:神庭、'08年定期演奏会パンフより)

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