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2008年2月24日 (日)

ヨハン・シュトラウス2世

「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス2世は、1825年、ウィーンで生まれた。

彼が生まれるのを待っていたかのように、2年後にベートーヴェンは57年の生涯を終えた。そのころ日本は江戸時代末期、ヨハン誕生の3年後に西郷隆盛が生まれる。

ヨハン・シュトラウス2世の家族は音楽一家として有名である。

父ヨハン・シュトラウス1世は、自分の楽団を持って作曲とバイオリン演奏をこなす、当時の売れっ子音楽家だった。有名な「ラデツキー行進曲」は父シュトラウスの作品である。

しかし、父シュトラウスは、自分の子供たちが音楽の道に進むのを堅く禁じていた。
ヨハン・シュトラウス2世は、経済の大学に進学させられていた。

ところが、父シュトラウスには愛人ができ、1844年に父母は離婚した。
これがヨハン・シュトラウス2世には幸いし、母は息子が音楽に道に進むことに大賛成だったので、その年にはさっそく音楽界にデビューを果たした。

彼のデビューが、華麗にバイオリンを弾きながら指揮をするという父と同じスタイルだったものだから、父はカンカンに怒り、息子のデビューを許した会場では生涯2度と演奏しなかった。実際、1849年に父が亡くなるまで、親子はライバルとして張り合うことになった。

さてデビュー後、ヨハン・シュトラウス2世はウィーンで大人気となった。

ワルツやポルカのヒット曲を次々と生み出し、彼が出演する舞踏会は常に満員となった。ウィンナーワルツは民衆の間で流行を見せていたが、流行は貴族にも広がった。

その人気は現在まで続き、今でも世界中に衛星中継されるウィーンフィルのニューイヤーコンサートでは、そのプログラムのほとんどがヨハン・シュトラウス2世を中心とするシュトラウス一家の作品である。

ヨハンは、いくつもの楽団を経営した。
このとき、多忙なヨハンを支えたのが二人の弟である。

次男ヨーゼフ・シュトラウスは兄ヨハンからは「兄弟の中で一番才能がある」と評価されており、「鍛冶屋のポルカ」をはじめ200曲以上の曲を残している。
また、三男エドワルト・シュトラウスは、二人の兄ほど作曲の才には恵まれなかったが、オーケストラを統率する能力は非常に高かった。

シュトラウス兄弟の新曲はときに「???・シュトラウス」のように誰かわからないように発表して、巷で人々が作曲者を当てあうこともあったという。

後年には彼はオッフェンバックの薦めにしたがってオペレッタも手がけ、「こうもり」などの名曲も生み出した。

彼はウィーンを中心にヨーロッパ中を公演し、成功のまま生涯をすごし、1899年、肺炎によって亡くなった。73歳であった。

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