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2008年1月14日 (月)

ビオラの穐鹿さん⑩ 喜びも悲しみも幾年月

最初の指揮者は、斎城英樹さんですか?

うん。
いちばん最初、指揮者を誰にするかってことで、いろんな話があったんです。
結局、広島の大学を出た人がおって、その人が斎城さん(S50~S52)を連れて来た。

(斎城先生は)もちろん今もだと思うけど、当時も結構熱心で、(広島から)自分が車運転して練習に来なぁよったです。
何回も来なったです。
トロンボーン奏者とかね、その人の広島の友達も、一緒に連れてきてね。
その次は、加納さん(S56~S61)です。
加納さんは、倉吉出身で、バイオリン教室の先生ですけぇ。
・・ええと、この間確か新聞に載っとったけど・・関西フィルとかで弾いとられたです。
今でも東京と掛け持ちみたいな感じですよ。
加納さんはバイオリンですけん、特に弦の指導が良かったんですよ。
だから、加納さんがやっとられた時に、弦の実力がわりと良くなりました。
弾き方とかね。

加納さんに続いて、高石さん(S62~H10)っていう東京の指揮者にお願いしました。
高石さんは日大オケの指揮者です・・今でもそうだと思いますよ。

それから、縁があって、今の松尾さん(H11~)ということです。

穐鹿さんはいつからビオラを弾かれているんですか?

え~っとね。
いつ頃かはわからんですけど、それでも、今から10年よりもっと前でしょう・・15年くらい前かな。
っていうのも、ビオラ弾く人がいないんだけん。

例えば、サンサーンスのチェロ協奏曲とチャイコフスキー5番の演奏会(S63)は?

ビオラでしたよ。
けっこう、今まで、ええの(曲)やっとぉでしょう。
どっちかってえと、今より(笑)。
全体的に、
「あれをやらないけん」
っていったら、
「出来ようが、出来まいが、喰らいついてやる!」
って、どうでもそれをやるってえ感じでしたけん。

今までで、穐鹿さんがいちばん良かったコンサートはいつですか?

どうでしょうかねぇ・・(考える)
どれが良かったか、難しいね。
絶えず、けえ、七転八倒というか、面白いこととイヤなことと両方ある。
素晴らしいことと悩みごとが一緒にあるというかね。
演奏会は絶えずそうですが。

その・・悩みごとなしに一つの演奏会が出来たのは無いですが。
不思議なことにね、ホントにね、必ず何かがああもんね(笑)。
いつその悩みごとが出てくるんかってぇのがですねえ、これが見ものというか。

まあ、出てきても絶えずそれ成敗してやってきたですけど。

「今回は演奏会が開けない」と思ったことはありますか?

ありますよ。
(演奏会の)一ヶ月前くらいに「ヤメるか」ってやなね。
人は「ヤメるか」言っても、私なんか、責任がああますけんね。
「いけな、いけんでええ!」ってな感じにならんですが。

どうでも繰りあわして、ええ具合にせんとね。
「米子管弦楽団がなんか演奏会ヤメたそうだ」
なんて話になれば・・
社会的にも、ある程度の責任がありますけんねぇ。
だけどまあ、何とかしてまあ、つなぎ合わせてきたというか。

そうすると、穐鹿さんは問題解決にかけては・・

もうベテランです(笑)。
何とかなります。
わりと最近は、「ああ、またやっとるな」ってな感じで、あんまり悩まんやになったです。
ですけぇ、次回の演奏会のとき、何があるかなと思って、期待してます(爆)。
物足りない、何にも無いとね。

だけどもちろん、演奏会が済んだときはね、
「ああ、やったなあ。いろいろあったけど、やったなぁ」
って思います。
それはもう、絶えずそうです。
だから今まで続けてこられました。

そのおかげで、米管もここまで育ってきたのですね。
今日は、知らなかった米管の話をいろいろ聞かせて頂きました。
ありがとうございました。

次の演奏会も、これからも、よろしくお願いします。
(終り)

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