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2008年1月20日 (日)

米子管弦楽団の歴史

Aika_o2_50当団に実はわりと長い歴史があって、現在の米管(よなかん)が3代目になります。
ここでは、当楽団の歩みをご紹介します。

 

【明治・大正時代】

明治時代に「米子音楽団」の活動の記録がありますが、詳細はわかりません。

米子出身の優れたヴァイオリン指導者の鷲見三郎氏が明治35年(1902年)に生まれ、大正13年(1924年)に上京して新交響楽団(現在のN響)で活躍しました。

鷲見先生は、米子に住んでいる間、稼業の茶商を手伝いながらヴァイオリンを独習し、大正10年前後に、7名のメンバーと共に「楓くらぶ」を結成し、しばしば合奏会を開催しました。

【初代米子管弦楽団:昭和10年~】

昭和10年、レコード音楽鑑賞会を開催したのが始まりで「米子文化協議会」が設立されました。当時レコードは珍しく、レコードを持っている人があると聞けば、未知の人でも、汽車に乗って尋ねて行ってでも聞かせてもらう時代でした。

その後、昭和12年に、「米子文化協議会管弦楽団」の名称で、「米子電気館」(角盤町3丁目)で、第1回管弦楽大演奏会が開催されました。
団員25名、指揮は米女(米子高等女学校)教員の中村義光氏と元海軍軍楽体長の吉村次郎氏がとりました。この他、明道小学校長の遠藤氏、朝日町の寺田氏など頭になって進められ、メンバーと共に演奏活動をされていました。

昭和14年には、「朝日座」で、新交響楽団の10余人を迎えて合同演奏会を開催しました。このときの新交響楽団の中心メンバーには、鷲見三郎・四郎・五郎の3兄弟がいました。

 

【2代目米子管弦楽団:昭和23年~】

Aika_o1_50初代米子管弦楽団の活動は、戦時中に中断します。

終戦後、京城交響楽団(現在、韓国ソウル)で指揮をしていた森安正男氏が帰米 され、団員を集め、名称を「米子管弦楽団」と改めて、昭和23年(1948年)に第2代目の米子管弦楽団の活動を始めました。

以下、昭和30年頃の練習に参加されたVa.穐鹿さんの文章を抜粋します:

「尾高町の然るお宅で練習をしておられるのを拝見させていただいた事を今でもおぼえております。 乗本氏、十倉氏 をはじめ数多いメンバーの方々のおもかげを思い出します。其の後、今の公会堂の出来る前に義方小学校が有り、そこで練習をしたり、前米子図書館(松田勝三前館長)で練習をさせていただきました。月日の流れと共に幾多の音楽会、又多くの演奏者が米子で演奏し、大きく文化の振興が進められました。」

(詳しくは穐鹿さんの米管列伝

 

【3代目米子管弦楽団:昭和50年~】

Dai9_50_3 2代目の米子管弦楽団は、昭和30年代に解散したようで、この後の空白期間が10年以上続きます。

昭和50年秋、とぎれていた米子管弦楽団の活動を始めるための新メンバー の参同をえて、第3代目米子管弦楽団の発足となりました。以後、ほぼ年1回の定期演奏会を中心に、県民による第九、夏休みさわやかコンサートなど、多くの皆様に支えられながら、多くのコンサートをする事が出来ました。

この3代目の楽団が現在に至っています。

 

【参考資料】

  • 「ヴァイオリンひとすじに」 鷲見三郎著 今井書店 1989年
  • 「新修米子市史 第13巻」 米子市史編さん協議会編 米子市発行 1996年 
  • 「米子の歴史」 伯耆文化研究会 編集・発行 1967年
  • 「鳥取県オーケストラ連盟演奏会パンフレット」 Va. 穐鹿嘉雄氏 1997年 

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